詩という文化がある。詩人がひねり出す言語的芸術作品、それが詩。
中野はどうもこの詩という奴がよく理解できない。確かに尾崎放哉など好きな詩人もいるし、知久寿焼の書く歌詞などは詩として非常に好きだ。しかし自分で何かを書こうとしても詩的なものにならない。詩の何たるかをわかっていないからだ。
詩に付いていろいろ調べたり人に聞いたりするうちに、詩とは「感動を美しい言葉で伝える短い文章」のことらしいということがわかった。感動を伝えるということは、思ったことを思ったままに書けばいいということだろうか。美しい言葉というのはなんかあいまいな定義なのでこの際いいとして、思ったことを思ったままに書けばいいというのなら、おそらく詩というのは簡単ではないだろうか。
たとえばこんなものだって、感動を伝える短い文章なのだから詩と呼んでいいだろう。
自分で置いた覚えが無いのに、部屋の隅のほうにコードとかペンとかがたまっていく。勝手にコードやペンが部屋の隅に集まるのだとしたら面白いけど気持ち悪い。
どうだ、今この瞬間中野の思ったことをそのまま書いてみた。
服屋さんはシャツをたたむのがうまいし、本屋さんはブックカバーをつけるのがうまい。自分はどっちも下手なのに、服屋さんも本屋さんもすごい。
これだって、詩と呼んでいいだろう。
両替するとお金はすぐなくなる。両替しないと使いづらい。不便だ。
思ったことを思ったままに出している。
ここまで書いてなんだけど、これが詩かどうかすっかり自信がなくなってきた。というか白状すればはじめから自信は無かった。こんなものは子供の作文と同じじゃないか。詩ってのはそれでいいのか?いや、そんなわけはあるまい。
自信の無さを素直に白状した中野に免じて、許してはくれませんか。あとこれがちゃんと詩になっているかどうか、判定してください。
センテンスを
切る
詩に多用されるように
比喩表現などを
使う
歌でも重視されるように
語調を揃えて
韻を踏む
そうすると
いつのまにか
文章は
詩になっているよ