目が覚めたら一匹の毒虫に。コレはすごい冒頭だ。読んだ人ならみんなそう思っただろう。なにしろ毒虫だ。毒虫としか書かれずに、その虫がどういう形状のもの何のかは一切触れられない。毒虫といっても、鳥などに食われないように毒をもっているのか、毒をもってて人などを刺す類の虫なのか。そんな描写は何もなく、とにかく毒虫としか表されず、それはつまり毒虫になったというだけの概念でしかない。抽象的な表現としてだけの毒虫。
とか、こういう風に読むのが普通の「変身」なんじゃないかなあ。いや、確かに変身を読めばこういう風に考えたくなるし、事実中野も変身の持つ抽象的な哲学とか、そういう風にも読んだものだ。
でも、それ以上に中野が「変身」が好きな理由は、「変身」の持つ面白さだ。
そう、変身は面白い。それも、でたらめに面白い。めちゃめちゃ面白い。
戸惑いながら毒虫になった主人公グレゴールザムザ。ベッドの下が居心地が良かったり、腐った牛乳がご馳走だったり、毒虫になっていくのだ。始めは人間として扱う家族も少しずつ人間として扱わなくなっていく。この過程の面白さもたまらない。
人間じゃなくなったザムザを悩みの種とする家族の会話。人間の言葉もわからぬ畜生に成り下がったと思い、本人の前でも気を使わずにザムザの話をする。それをすぐそばで聞いているザムザ。なんというか、他人の悪口大会に参加しているような感覚も、たまらなく面白い。
今まで働き手だったザムザが突然何らかの事情があって働けなくなる。ザムザに遠慮なくザムザの悪口を言いまくる家族。それを聞いても意に介さぬ毒虫ザムザ。
この関係は、ひきこもりの息子を持った家庭の関係そっくりだ。大学あたりで急にアニメとかにハマって、部屋から出てこなくなったひきこもりの息子。一家の厄介者だ。家族が自分の悪口を言っているのは知っているけど、そんなことよりネットゲームの世界のほうが大事だ。ああ、撮り溜めたアニメも見ないと。食べ物は家族が自室の前に置いてくれる。
現代に実にマッチした内容だ。今こそ変身を読む時期なのだ。毒虫になったザムザの面倒をひとり見てくれる妹グレーテで、萌え要素もバッチリだ!後半はメイドが面倒を見てくれるよ!マジで!
知ってのとおり最後は親父に投げられたリンゴで死んでしまうザムザだけど、コレをたとえば「父親から投げかけられた言葉の暴力による心の傷が死に至らしめた」とか言うつもりはない。毒虫になっちゃったのは不可抗力だけど結局こんな奴死ぬべきだったんだろう。ひきこもりの息子が死んですっきりとピクニックに出かける家族。ひきこもりは死んだほうが良いんだ。
結局、ザムザに依存しきっていた家族は、ザムザが毒虫になったことによって自活するようになった。本当に変身したのは家族だ。ザムザはただひきこもっただけ。なんというか、天性の才能?
そう考えて、もう一度「変身」を読んでみてほしい。正直こんな面白い小説もそうないと思う。マジで面白いから。
お兄ちゃんに尽くすグレーテ萌えるねw